momy_kumura’s blog

なかなか真面目blog🤟命とか人生とか❤️

20.02.01 お別れ前日

再入院4日目

再入院に付き添ってから2日間会いに行けなかった

その2日間はメールも電話もなかったから

相当きつかったんだと思う

 

前日にお見舞いに行く旨のメール

返事は電話だった

 

体調良くなってないけん

って言われた

ちょっと覚悟した

 

2月1日は土曜日

お父さんと博多で待ち合わせてお見舞いに行く

面会は13時からなのでその前に博多で待ち合わせて

お昼を食べようということになっていた

お母さんに伝えると

先生の話があるからすぐに来て欲しいとのこと

13時半ごろに病院に着いた

ナースステーションには疲れきった顔の先生が

デスクで仕事をしていた

 

カンファレンス室

先生と看護師さん、ソーシャルワーカーさんがいた

再入院後再検査の結果

肝臓が腫瘍で埋まっている

リンパから肺に転移して肺に水が溜まっている

2月4日に予定していた新しい方法の治療が出来る体力がない

1度目の入院の時はご飯も食べれるようになったし

元気に動けるようになったので退院できたけど

同時に病気も活発になり身体を一気に蝕んだとのこと

お母さんは先生に

頑張って治療を続けたいって言ってたらしい

ただ、先生の表情から全て読み取れた

涙が止まらなくなった

部屋のドアの近くに座っていた私は

お母さんに涙がバレないようにずっと扉の方を見つめていた

 

一番先に部屋を出た

泣いちゃいけないのはわかっていた

ソーシャルワーカーさんが声をかけてくれて

さらに泣いてしまった

 

落ち着いてから病室に戻る

深刻な話をするのが嫌いなお母さんは

本心はわからないけど笑ってた

お昼を食べにお父さんと一度病室を出る

ナースステーションの前を通ると先生に別室に案内された

あと1ヶ月ぐらいだと思います

急すぎる余命宣告

お父さんの顔が赤くなる

私は一番聞きたくなかった言葉を聞き

力が抜けたように

涙を堪えようともしなかったしできなかった

何も考えられない

 

ご飯の味がしなかった

大阪にいるお兄ちゃんに連絡

来週帰ってくるとのこと

県内にいるお兄ちゃんとお嫁さんは明日お見舞いにくることになる

さぁ、あと1ヶ月でどうしようか

答えが出ないまま病室に戻った

 

お父さんは15時ごろ帰った

私はずっとお母さんといつものようにおしゃべり

お父さんの還暦のお祝いに下関のリゾートに行く計画を進めないとねと

あと1ヶ月の命であることは知る由もないお母さん

5月のお父さんの誕生日まで生きようとしていた

その後、昔からの夢だった

私とヨーロッパ旅行に行くことも

まだまだずっと生きるつもりだったんだと思う

お母さんに悟られないように笑顔で話すことに必死だった

顔を見られないようにお母さんのベットに横になり仰向けになった

18時に食事が来た時は

私の介助でトイレに入ったっきり30分ほど出てこなかった

もう歩くことさえできなくなってた

19時半

とうとう食事は一口も食べれなかった

水を少し含んだ

それが母の最後の食事

面会時間が終わる20時までずっと一緒にいた

 

夫が迎えに来てくれることが日常になっていた

この日は20時ちょっと過ぎ

余命宣告のこと言うべきが迷った

帰りの車の中で伝えた

手を繋いでくれる

そのあとのことは覚えていない