20.03.25 桃の誕生日
私の27歳の誕生日
コロナの影響で外出は自粛して
今年の誕生日は家でささやかにお祝いをした
この歳になるとケーキよりフルーツの盛り合わせが食べたくて
メロンやイチゴ、パイナップルとかを食べれて嬉しかった
夫と住む家のリビングには可愛らしい仏壇を置いた
お父さんが兄弟みんなの家に各々の好きな仏壇を買ってくれた
お母さんの写真と一輪の花
小さい骨壷
私はお線香の匂いが苦手なので
お香のような良い香りのお線香を供える
我ながらお母さんに喜んでもらえるような
良い感じのステージであり
お母さんの居場所
私の誕生日には
毎年お母さんからプレゼントとは別に
1通のメールが届いた
ふとその事を思い出して
iPhoneに残っているお母さんとのメールを読み返してみた
学生のころは
遊びに夢中で
誕生日を友達と祝うために
夜通し遊んだ
お母さんから心のこもったメールにも
軽く返事をするだけの私だった
今その時のお母さんの気持ちを考えると
胸が痛くなった
他のメールを読んでいても
お母さん宛に
今日はご飯いらないよ
っていうメールを何日も連続で送っていて
本当にバカだったなと反省した
実家暮らしで
家に帰ったら
お母さんがいつもいるっていうことが
普通になりすぎてて
それがどんなに掛け替えのないことかを
全然わかってなかった
今思うと
誕生日って育ててくれた親や
いつも優しくしてくれる友達に感謝する日
そして
将来楽しんで生活をしている自分の姿を想像して
ワクワクして
その姿に向けてきっかけになる日でもあるかなって感じた
新年の抱負みたいなものかなって
私のお父さんは単身赴任の期間が長くて
学生時代はほとんどお母さんと過ごした
お兄ちゃんが大学に進学して家を出ていくと
お母さんと二人暮らしになった
女同士でゆるく生活する感じが好きだった
生前、病室でお母さんと思い出話をしていると
私は受験前や就活の時はとてもピリピリしていたらしい
自分では自覚がなかったけど
あの時は怖かったよって言われた
自分でもわかっていないことを
お母さんは感じ取ってくれていた
私のストレスをいつも気にしていたこと
とてもありがたいと感じれたのが
随分後になってしまったのが申し訳なかった
お父さんが離れていてこともあって
お母さん自身も辛いことや不安があったと思うのに
一度も涙を見たことがなかった
そんな強いお母さんだったけど
本当は泣きたいときもあったんじゃないかな
私は涙もろすぎて
この記事を書きながら泣いてしまうほどだけど
いつかお母さんみたいに
明るくて優しくて強くて
誰かの心の変化を汲み取れるような人間になれたらいいな
でも悲しい時は正直に悲しむことも大事だって
主治医に言われたんだった
バランスが大事ってことか