20.03.31 好奇心と実行
友達と共同企画で
昨日からオンライン英会話レッスンを受講している
このプロジェクトが始まったきっかけは
もう覚えていないほど些細なことで
私がひさしぶりに彼のインスタの投稿にコメントしたんだったかな
それからスタートするまではとても早かった
というかアイディアがどんどん湧いてきて楽しすぎた
彼とは大学4年生の2月くらいにバイト先の後輩に紹介してもらって出会った
現在はニュージーランドに住んでいる彼は
相手の気持ちを汲もうとする姿勢と
大胆さと自分の気持ちに正直なところを持ち合わせていて
とてもバランスが良い
友達でいられることを誇りに思える存在
もっと早く出会っていたらとか考えるときりがないけど
これからも良い関係を築いていって
お互いの成長を応援し合えるようになりたい
彼は5年程前に英会話教室を開催したことがあった
私はお母さんを誘って参加した
お母さんも英会話が好きだったから
レッスンの初めに英語で自己紹介をした
お母さんは
桃のお母さんではなく、恵理子と呼んでください
って英語で話してた
その文章は心にグッときたことを鮮明に覚えている
自分の人生の主人公は自分だってことを感じた
親であり妻あるけど、それは肩書きでしかない
自分の名前という最大で最高のアイデンティティを大切にしていきたい
お母さんは好奇心旺盛で
新しい環境にも臆することなく飛び込んだ
すぐにその人間関係に馴染んでは素敵な友達をつくった
美術館のボランティア活動
色鉛筆絵教室
ウクレレ教室
茶道の会
ときにはお寺に説法を聞きに行ったり
いろんなことに興味を持ち
それを実行していた
このDNAが私に受け継がれたこと
心から有り難いと思う
私は現在休職中
半年前は証券会社で営業をしていた
毎日1時間近くかけて通勤
朝7時の電車のホームでは
今日の電車は座る席空いてるかなとか
会社まで遠いなぁとか
そんなことばかり考えていた
知っての通り証券というものは絶対がない
私がお客様のためを思って提案したことが
その気持ちに反して悪い状況になることが多々あった
私はそれが怖かった
いつしかお客様に思い切った提案が出来ないようになったし
毎日朝が来るのが憂鬱だった
そして心が病んでいった
去年の9月末に母方のおばあちゃんが亡くなり
それから1ヶ月間は熱が下がらず謎の蕁麻疹が出た
原因がわからず最終的に心療内科へ
うつ状態と診断された
医者からはその日から会社を休むように言われ
支店長に電話をした
こうして私の休職生活が始まった
お母さんの看病をしながら自分の病気と向き合う時間は
心のバランスを保つのが難しかった
休職し始めてすぐは
みんなは頑張っているのに自分だけ休んでていいんだろうかとか考えてたけど
私はベッドから起き上がることも出来なかった
夫は毎日仕事で疲れているのにも関わらず
退社してから家に帰る途中で食材を買ってきて夕食を作ってくれた
調子のいい日は少し家事をすることが出来た
夫はそれに気づくとたくさん褒めてくれた
いつも感謝してもしきれない存在
今も医者からは仕事復帰は止められている
お母さんの死についてはゆっくり悲しみなさいと
自分の気持ちにブレーキをかけていたのは自分だったことに気づいた
先生の言葉で
泣きたい時は泣いていいんだって思えた
そして
自分の心に誠実に向き合うこと
これも出来ているようで出来ていなかったというか
等身大っていう言葉を本当の意味で理解できていなかったと感じた
今は少しずつわかってきた気がする
好きなことは好き
嫌いなことは嫌い
ノーと言えることってすごい大事
自分の気持ちを正直に伝えることは
相手のためにもなるなって思うし
でも、同時に思ったのは
言葉の選び方を間違っちゃいけないこと
メールでもLINEでも電話でもこのブログでさえ
自分の気持ちを正直に伝える代わりに
相手を嫌な気持ちにさせないことが一番大切
ボキャブラリーが乏しい私は
たまに夫に文章チェックしてもらってるけど 笑
もっと本を読もうって最近すごい思ってる
今まではビジネス書ばっかり読んでたけど
素敵なストーリーの小説を読んでみたいな
雑学とか増えそうだし
おすすめがあればぜひ教えて欲しいです
20.03.25 桃の誕生日
私の27歳の誕生日
コロナの影響で外出は自粛して
今年の誕生日は家でささやかにお祝いをした
この歳になるとケーキよりフルーツの盛り合わせが食べたくて
メロンやイチゴ、パイナップルとかを食べれて嬉しかった
夫と住む家のリビングには可愛らしい仏壇を置いた
お父さんが兄弟みんなの家に各々の好きな仏壇を買ってくれた
お母さんの写真と一輪の花
小さい骨壷
私はお線香の匂いが苦手なので
お香のような良い香りのお線香を供える
我ながらお母さんに喜んでもらえるような
良い感じのステージであり
お母さんの居場所
私の誕生日には
毎年お母さんからプレゼントとは別に
1通のメールが届いた
ふとその事を思い出して
iPhoneに残っているお母さんとのメールを読み返してみた
学生のころは
遊びに夢中で
誕生日を友達と祝うために
夜通し遊んだ
お母さんから心のこもったメールにも
軽く返事をするだけの私だった
今その時のお母さんの気持ちを考えると
胸が痛くなった
他のメールを読んでいても
お母さん宛に
今日はご飯いらないよ
っていうメールを何日も連続で送っていて
本当にバカだったなと反省した
実家暮らしで
家に帰ったら
お母さんがいつもいるっていうことが
普通になりすぎてて
それがどんなに掛け替えのないことかを
全然わかってなかった
今思うと
誕生日って育ててくれた親や
いつも優しくしてくれる友達に感謝する日
そして
将来楽しんで生活をしている自分の姿を想像して
ワクワクして
その姿に向けてきっかけになる日でもあるかなって感じた
新年の抱負みたいなものかなって
私のお父さんは単身赴任の期間が長くて
学生時代はほとんどお母さんと過ごした
お兄ちゃんが大学に進学して家を出ていくと
お母さんと二人暮らしになった
女同士でゆるく生活する感じが好きだった
生前、病室でお母さんと思い出話をしていると
私は受験前や就活の時はとてもピリピリしていたらしい
自分では自覚がなかったけど
あの時は怖かったよって言われた
自分でもわかっていないことを
お母さんは感じ取ってくれていた
私のストレスをいつも気にしていたこと
とてもありがたいと感じれたのが
随分後になってしまったのが申し訳なかった
お父さんが離れていてこともあって
お母さん自身も辛いことや不安があったと思うのに
一度も涙を見たことがなかった
そんな強いお母さんだったけど
本当は泣きたいときもあったんじゃないかな
私は涙もろすぎて
この記事を書きながら泣いてしまうほどだけど
いつかお母さんみたいに
明るくて優しくて強くて
誰かの心の変化を汲み取れるような人間になれたらいいな
でも悲しい時は正直に悲しむことも大事だって
主治医に言われたんだった
バランスが大事ってことか
20.03.24 魔法の言葉
3:00 AM
初めての長時間の撮影の後
本当に疲れていて何もしたくなかった
帰宅後すぐにお風呂に入って
今日はすぐに寝たかった
そんな日に限って寝つきが悪い
急に不安になる
こんな感情のときは
いつもお母さんがそばにいた
お母さんの大丈夫の一言で
全てが大丈夫になった
お母さんの言葉には
時に魔法が宿った
それはもう過去の話
今すごくお母さんに会いたい
正体のわからない不安を
笑い飛ばして欲しい
骨壷の中をひとつまみ食べたくなるほど
お母さんを感じたいを思った
猛烈に寂しい
あの日以降
忙しい毎日だった
それが落ち着くと
自分の生活に大きな変化があった
お母さんが私に落ち込む時間を与えないようにしてたのかもしれない
お母さんは私の悲しみの涙が嫌いだった
今私はビートルズのBlack birdを聴いている
お母さんが大好きだった曲
私もこの洒落たメロディと
ギターのコード変更のときに微妙に聞こえる音が好きだ
お母さんは私にいろんな音楽を教えてくれた
ラジオが大好きだったお母さんは
まだ無名のアーティストの曲をラジオで聴いては
彼らのブレイクを言い当てた
そういうセンスも大好きだった
もちろんお母さんが若い頃に聴いていた曲も
私に大きな影響を与えた
そういう曲はカセットテープで聴かせてくれた
私がまだ学生の頃
休みの日には
家事をしながら
コンポの周りに溢れる
カセットテープやCD、MDの中から
聞きたい曲を流して
ふたりで好きに歌う時間が好きだった
たまにコンポの取り合いになった
あの頃はわざわざCDを借りてきて
カセットやMDに写したり
パソコンでCDをコピーして
ジャケットをカラーコピーしてそれっぽく作ってみたり
そんな手間を惜しまず
楽しめるのがお母さんだった
最近では聞きたい曲がすぐ聞けて手軽になっていく音楽に
なんとなく切なさを感じてたんじゃないかと思う
私にとっての大きな情報源は今どこにいるんだろうか
どこからか私を見ているんだろうか
お母さんのように
何事も上品で適度に特別感があって
そういうセンスを磨いていきたい
20.03.22 お父さんとデート
あの日から四十九日が過ぎた
とても濃ゆくて短く感じた期間
この49日間にはいろんな事が詰まっている
昨日は私のDJデビューの日だった
中洲の大きな川沿いにある良い雰囲気のBAR
お客さんも優しい人ばかりだった
最近は健全な生活をしていたから
久しぶりに朝4時に帰宅
もちろん目覚ましの音は聞こえず
お父さんからの電話で目を覚ました
天神で待ち合わせをし
お昼はお母さんが好きだった蕎麦屋へ
鴨南蛮蕎麦を食べた
1週間ぶりに会ったお父さんは
席に着くなりたくさん話してくれた
私も最近ではお父さんに話したい事が増えた
大概はしょうもない話だから鼻で笑われるけど
たまにお父さんの興味にヒットする話題が出来ると
とても盛り上がって嬉しい
お母さんがいなくなった隙間を
埋めてくれるようだった
そのあとは欲しかったスニーカーを見に行った
お父さんは初めて入る西通りのブティック
お父さんなりの意見を言ってくれて
最後は私の背中を押してくれる
お母さんと同じ
私は優柔不断で一人で買い物をするのが苦手だ
洋服や靴を買いに行くときは
お母さんを連れて行くと失敗しない
絶対的な信頼をしていた
お母さんは質が良く、長年着れる物を好んだ
タンスの肥やしには30年前に買ったものだけど
センスがよくて綺麗で状態のいい洋服や靴ばかり
私はよくお母さんのおさがりをもらったり
勝手に共有していた
お母さんが痩せてきた頃は
若い頃のお気に入りが
また着れるようになって喜んでいた
嬉しがっているお母さんを見て
心配していた私だが
悟られないように振る舞った
案の定
お母さんはみるみるうちに
かわいい洋服が似合わないくらい痩せていった
ここ数年のお気に入りの
アクアスキュータムのトレンチコートは
色違い、形違いで母娘で1着ずつ持っている
最初はお母さんが見つけてきた
バーバリーのコートは重たいから違うものがいいとか
ベルトにはDカンがマストだとか
裏地にもこだわりがあるものがいいとか
その全てを網羅しているのがアクアスキュータム
20代前半の私には手の届かない値段だったから
とても羨ましかった
あるときそのコートが安くなっているからって
電話をかけてきてくれた
いつも私が喜ぶことにアンテナを張ってくれていたお母さん
私も娘ができたらこんな親友同士みたいな関係でいたいな
女兄弟がいないのでお母さんのトレンチコートは私のものになる
全く同じデザインのものを買ってなくて良かったっていうのが
正直な気持ち
20.03.18 経験を生かす
15時からカフェでデザイナーの友達とお茶をした
半年以上ぶりに再会をした
笑顔が素敵でふんわりした雰囲気が大好き
最近デザインに興味を持ってる私は
彼女の話を聞きたくて連絡をしたら
快く時間を取ってくれた
聴き上手な彼女と話していると
ついつい自分のことを話したくなる
私は人と話していると
普段の自分では気づかなかった感情に
たどり着くことがある
お母さんのことも話した
亡くなった母方のおばあちゃんの着物
お母さんの着物
たくさんありすぎて
どうしたらいいかわからないこと
もったいないから私が私服として
活用したいと思っていること
でも、着物と帯はあっても
草履や小物がどこにあるかわからない
着方もわからないし
何が必要なのかもわからない
ネットで調べて買えば早い話だけど
そういうことじゃないと思っていること
お母さんに聞きたいことが聞けない
これって本当に大きい変化だし
正直とても不便だ
生活の知恵みたいなことって
ネットには載っていなくて
お母さんが娘に受け継ぐみたいに
代々リレーされてくるようなこともあるけど
それが十分にできなかった切なさとか
あとは保険証とか通帳とか保険証券とか
リアルなもの
こういうのってお父さんじゃわからないことが
たくさんある
そういう時にお母さんの存在の大きさを改めて感じる
お母さんと一緒に過ごす時間は私が一番長かったから
何でもわかっているつもりだったけど
それでもスムーズにいかないことが増えた
こういう話をしていて
彼女は
私もお母さんともっと話をしておかないといけないって感じた
と言ってくれた
その言葉が嬉しかった
私の経験が誰かの役に立ったと思えた
このブログも
最初は自分だけの備忘録のつもりで始めたけど
私の経験が
母と娘のコミュニケーションに役に立てば嬉しい
人はいつ死ぬかわからないって
みんなわかっているようでわかっていないから
だから本当に会えるときに会いに行って欲しいし
話ができるときにいろんな話をしてほしい
事務的なことだけじゃなくて
親の考え方や好きなことを知って
親の好きな本を読んでみて欲しい
親の趣味を一緒に経験して欲しい
世界で一番尊いのは
芸能人やスポーツ選手ではなく
自分を育ててくれた親だし
親を育ててくれたおじいちゃんおばあちゃんだし
もっと自分のルーツに目を向けて
自分の今を作ってくれた先祖を
代々の家族を大切にして欲しい
家族であっても意見の違いは当たり前
それを理解しあって妥協しあって
その違いすら愛して
そして大好きって伝えて欲しい
20.02.04 火葬場
火葬場についた
斎場からはバスで15分ほどのところにある
不思議な雰囲気で
無機質で
四角い箱って感じの
色で表すならば
白と灰色
誰も息をしていない感じがした
6番の部屋にお母さんが運ばれていた
これが本当に最後
目に焼き付けた
そのあとはどこかで見たことがある映画と同じ
係りの人がガチャンと扉を閉める
この頃には私はもう諦めがついた
親族は待機室に入って
私と夫は近くのコンビニへ軽食を買いに
久しぶりにゆっくりとした時間を過ごした
夫の家族もきてくれて
おじいちゃんと義理のお父さんお母さんは
会うのは結婚式ぶりだけど話すのは初めてで
とてもいい機会だった
夫のお父さんは元校長先生
人格者みたいな人
夫の家族は本当に温かい
私はお父さんとお兄ちゃんと話していた
お母さんは現在父方のおばあちゃんが一人で住んでいる
山口のお墓に入ることになる
これからも寂しくないように
おばあちゃんの家の敷地内に
別荘を建てようとのこと
お墓は家のすぐ裏にある
遺産は建築に使うことになった
2時間くらい経ってから火葬が終了するアナウンスが聞こえた
お母さんの骨は驚くほど小さかった
一人ひとり骨壷に入れていく
最後に兄弟3人で分骨のために
骨を持ち帰った
私は右手の指先の骨をお箸ですくった
私と一番触れていた右手
美味しい料理を作ってくれて
綺麗な絵をたくさん描いた
心のこもった文章を書いた
その魂が込められている気がした
そのあとは親族みんなで夜ご飯を食べた
遺影と骨壷と位牌を脇に飾った
この3日間一緒にいたみんなと
思い出話をした
父方のおばあちゃんは耳が遠くて
あまり話が噛み合わないけど料理上手でとても可愛い
今度お父さんが補聴器と携帯を買ってあげることになった
90歳の母方のおじいちゃんは耳も目もとても良い
そしておじいちゃんの昔話はとても面白い
頭もキレキレで話してるといつも引き込まれる
こうして怒涛の3日間が終わった
20.02.04 お葬式
朝目覚めると案の定とても疲れていて
少しの間動くことができなかった
朝方眠りにつく前に
もう一度お母さんの好きだったものや
食べたがっていたものを思い返していた
目が覚めてから実家に取りに行きたかったけどそんな時間はなく
斎場に泊まっていたお兄ちゃん夫婦に
取りに行ってもらった
お兄ちゃん夫婦の結婚式の写真
お母さんに頼まれて買っていったジンジャークッキー
これはとうとう食べれなかった
親友にもらったふわふわのベスト
いつも大事に育てていたベランダのバラ
一緒に火葬してもらうのに忘れ物はしたくなかった
9時半にはみんな斎場に集まって朝ごはんを食べた
とても静かな時間
そのあとは葬儀の打ち合わせに立ち会った
その時に弔辞をすることが決まった
最後にお母さんに伝えておきたいことはたくさんあった
15分で手紙を書き終えた
不思議とすらすらと言葉が出てきた
葬儀が始まる頃には
お花が会場に入り切れないほど届けられて
見たことない量の電報が届いていた
昨日と同じ住職のお経と説法
いつもはとても長く感じるお経の時間も
とても短く感じた
お焼香の時間には
ビーチ・ボーイズの曲を流してくれた
God Only Knows